依那古の歴史

依那古の歴史

古代

 依那古地区には多くの古墳が存在します。

 代表的なものとしては、三重県で3番目に大きい4世紀後半のものとされる石山古墳があり、最近見つかった森寺の西出古墳など、現在解っている伊賀市内の古墳の半数以上がこの依那古地区内にあると言われています。

 依那古の地は古くから人々の営みが行われ、「郡」という地名が残されていて、古代寺である財良寺跡もあったと言われることから、奈良時代には伊賀の地を治める群衛が置かれていたことがうかがわれます。

 下郡地区にある猪田神社は784年(延暦3年)に創建されたとされ、その祭事は今もなお引き継がれています。

中世

 また平安時代以降には垂園森に代表されるように、多くの歌人が和歌を詠むなど、その風景は人の心をひきつける場所であったと想像できます。

 戦国時代の天正伊賀の乱ではまさに戦火の中心地となり、多くの民家や寺院が焼かれ、多くの民が命を奪われました。その後、長い期間を経て人々の努力により復興が遂げられ、寺院なども再建されました。

近代

 依那古地区は、明治22年の町村制の施行により、沖村・依那具村・市部村・才良村・上郡村・下郡村・森寺村の区域をもって「伊賀郡依那古村」が発足し、昭和29年まで依那古村として存在しました。そして、昭和30年に上野市に編入し、現在は伊賀市に含まれる地域となっています。

 依那古の中央を流れる木津川は古くから私達の生活と密着しており、平成元年の河川改修の際に植えられた「木津川堤防沿いの桜」は、桜の季節には依那古地区の住民だけでなく、伊賀市内外、大阪や名古屋からも訪れ、桜の名所となっています。

 その他、地域の人が植えたコスモスや彼岸花(曼殊沙華)など、四季折々に花が咲き、心温まる地域となっています。